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アートコラム

 

しもんくんのアートに関する考え方

しもんくんのアートに関する考え方
 
絵画とイラストレーション
今回は、絵画とイラストとかマンガ、アニメの絵のちょっとした違いを書きます。
 
まず、2者の大きな違いは、大きなデフォルメがあるか?だと思います。
イラスト系の絵は、目の大きさや身体の比率など、ものすごく強調した表現をとることが多いです。
いわゆる油絵などの絵画は、よく見て描くことやモチーフへの取材、内面性などが焦点になります。
いずれも絵であることに変わりは無いので、絵画としての根本が分からないと上達はしないものです。
 
イラスト系の絵ばかり描いていると、絵画というもの自体に触れる部分が希薄になります。
例えば、自然な陰影、比率、空間認識、モチーフの内面性など。
マンガなどは、ストーリーやキャラクターの個性が重要ですからね。
絵のわかりやすさも重要です。
 
しかし、イラストしか描いていないと、「デフォルメすること=絵を描くこと」になってしまい、何を描いても無意識にデフォルメし、簡略化するようになってしまいます。
本当はモチーフがどんなものであっても、描くことに必要な技能は変わらないはずです。
 
絵画とイラストレーションの描くことの根本は、変わりません。
ですが、どちらかに傾倒し、あれは違うとか言い出すことが問題なのですよ。
デザインになると、少し違う気がしますが、「描くこと」に限定して言えば、同じ目標があるのではないのでしょうか?
 
絵画と向かい合う姿勢
僕は、絵画は生き物だな、と思います。
なぜなら、見るたびに違う様相を呈しているからです。
 
その日のそのときの感情や体調。
自分の変化や一緒に見る人の意見など、様々な条件に左右されて見ているからでしょう。
でも、それだけではない「何か」もあるのです。
 
絵は、人の目に触れることで成長します。
作家自身の手を離れ、作家の思いとは別の解釈も生まれます。
その中で、研鑽され、成長するのです。
最初の絵とは、何か違う物になり、風格すら生まれているかも知れません。
 
また、社会情勢との適合性もあります。
絵とは、画家の目を通して表現されますから、絵には、時代そのものが盛り込まれています。
年月により、解釈が変わったり、古かった物が新しいと言われたり。
 
だからこそ、絵画に向き合うときには、気を引き締めなければなりません。
そこには、無限の可能性があって、見ようとする者にしか見えないからです。
 
 
成功と反証
プロセスの重要性についての小話です。
 
先日読んだ、北野武と村上隆の対談本で、武が言っていた言葉です。
「成功した事柄は、反証することができる」
プロセスの充実度、中身を言っているのかなと考え、なるほどなぁと思いました。
 
確かに僕のこれまでの卒園制作の企画やワークショップ、自分自身の制作活動においても、成功した物には、確固たる理由が存在していました。
 
例えば、年齢に合わせた制作内容であったり、何を学ばせたいのかということであったり、なぜ今それを行わなくてはならないのかということを徹底的に考え抜くのです。
制作においても同じところがあり、「なぜそうでなくてはならないのか」について考えるのです。
 
こういった考える部分にプロセスは、間違いなく潜んでいるのです。
といいますか、作品としての「成功」に行き着くまでのすべてがプロセスです。
例えば、巨大な迷路を空を飛んでゴールしても、どこがゴールまでの道筋であったのかは、一生わかりません。
 
失敗した事柄というのは、あとからいくら考えても、道筋は見えてこないものです。
それくらいプロセスをないがしろにして、何も見ずにゴールしてしまったということになります。
 
ゴール自体は、重要ではありません。
結果的に失敗でも、それはゴールというカウントです。
なんとなく生きていても、ゴールはできます。
問題は、どういった道を選び、どんなゴールをしたのかが肝心です。
 
しっかりと考えて、一つ一つの選択に真摯に向き合うことができたならば、成功するでしょう。
制作するということと、人生の本筋を考え抜く、今年の卒園制作です。
みんな、僕の「どうして?」の問いかけに必死に答えようとしてくれています。
真摯に受け止めたいと思う今日この頃です。
 
プロセスと結果
最近、卒園制作の導入などで「プロセス」を口にしています。
良い作品を作るためには、プロセスが重要です。というより、作品にプロセスはつきものです。
しかし、鑑賞するだけの立場でいると、作品にばかり目が行ってしまいます。
作品は、プロセスの賜物であり、完成した時点に置いてもプロセスの世界を行き来しているのにも関わらず。
 
まず作品が、自己表現であり全くのオリジナルであるという考え方を変えましょう。
作品を作るきっかけは、外部からの情報です。
情報が自分の中に蓄積されて、初めて作品という結果に落とし込めるのです。
ここにプロセスの重要性が存在します。
 
いままで、作品を見ては、こんな表現が出来るのだな、面白いな、不思議だなと思っていた物。
それは、身の回りにある情報を作家が選び取った結果です。
その作家ににしか選ぶことが出来なかったプロセスです。
オリジナリティは、作家の道のりに潜んでいるのです。
だからこそ、様々なことを知り、深く考察しなければならないのです。
 
月並みな言葉ですが、人生は、選択の連続です。
選んだことに責任を持てなければ、自分の人生とは呼べないでしょう。
今年度の卒園制作は、よりプロセスを重要視します。
 
作品を作る時も、いつでも問われ続けています。
「こっちで良いのか?」と。
選んだ結果が良いか悪いかを決めるのも自分次第。
そんなプロセスを充実させて作品を創り上げていきましょう。
 
絵の指導って何?
これは、単純に僕の疑問です。
絵の指導ってなんざましょ?と。
 
人によっては、上手にするために描かせていると思っている人もいるでしょう。
そして、そのためには、絵に手を出して指導する人もいます。
でも、それって違うんじゃないですかね。
 
絵に限らず、「作品に手を出す」と言うことは、その人の表現だった物に「違う人間の表現が入ってしまう」と言うことなのですから。
また、幼児教育の場でも、絵に手を出すことは、あるところではあるようです。
コンクールで入選するためだったり、気に入らないことがあったりすると、手を入れたりすることあるみたいです。
 
信じられないですね-。
作品に勝手に手を出すことほど、作者を侮辱する行為は無いでしょうから。
まあ、あくまで少数派であって、大方の指導者はしていないということを願うばかりです。
作品が出来たときの感動や制作中の試行錯誤こそが価値なのですから。
 
作品を楽しむ余裕やアートをへの理解を示さなければ、指導は出来ないでしょう。
好きだから人に伝えたくなるのです。
ある意味では、職業と生活の境目がなくなる部分もありますので、なんか職業病っぽいところもあります。
最近では、何か良い作品やその他の事柄に影響を受けると、どうやったらこの面白さを伝えられるのかと考えてしまいます。
 
これからも、指導に携わる時には、アートの面白さや感情のみずみずしさを忘れずに伝えていきたいですね!
 
幼稚園でのアートについて
わかば幼稚園では、日常生活にアートを取り入れています。
ですが、普段の生活には、アートってなじみのないものです。
 
確かに、生活自体にかかわりのあることではないですね~。
正直、アートがなくても生きていけるし、人生を全うすることはできるでしょう。
しかし、人生の意味を考えた際には、アートの必要性を感じられるのです。
 
何をして生きるのか?
 
大きな問いと向き合って生きているのが人間でしょう。
何かを感じているからこそ、アートは意味があるのです。
 
では、お題の幼稚園でのアートの話に移ります。
幼児は、子供であると同時に、自分と同じくして生まれた人間です。
この前提を忘れてしまう大人も多くいるように思います。
大人と大きく違う点は、「固定概念が少ないこと」と、「絶対に成長する可能性」を持っていることです。
あえてネガティブに言えば、幼く、ものを知らない人間であるということでしょう。
 
吸収力のある幼児期に、問いに答える能力を備えるのです。
将来に子供たちは、私たちがぶつかったのと同じような壁に行きつきます。
その時に、自分で対処できるのか、人生に自分なりの意味を見出せるのか。
 
その時しか見なければ、瞬間ですが、時というものは連続しています。
今しかやらないことを身につけさせたいのではなく、一生涯にわたって何かを考えるきっかけを作りたいのです。
それが、「幼稚園でのアート」なのだと、私は思っています。
 
画家「アルチンボルド」の展覧会を見てきました。
子どもたちは、夏休みを謳歌している頃でしょうか?
幼稚園は、新学期に向けて準備がたくさんあります。そのため、先生たちも毎日行事の内容を決めたり、園庭の整備をしたりと急がしい日々ですね。
僕も、事務仕事やら作品展の準備やらで忙しい日々です( ;∀;)
土日も仕事のパターンがあるのですが、そんな中休みがとれたので、いざ東京へ!
 
国立西洋美術館でアルチンボルド展をを観てきました。
アルチンボルドは、ローマ皇帝フェルディナント1世とその子孫に仕えた、宮廷画家でした。
なので、絵の力量はすごいです( ゚Д゚)
いわゆる寄せ絵という絵なのですが、花や草木、魚などを組み合わせて人の顔を表現しています。
 
「奇想」と呼ばれることが多いようですが、絵の意味を知ると考えられている内容に驚きました。
四季、四大元素を使って顔を描いており、その人物は皇帝陛下。
すべてを統べる神聖ローマ帝国の皇帝の顔を元素と季節で表しているのです。
国とか人だけでなくて、すべてを支配下に入れているって感じですかね。
 
そのほかにも、学者の肖像を本を使って描いたり、ソムリエをワイン樽で描いたりと結構やりたい放題です。
今では人権問題になりそうな絵もたくさん。
人の美醜をネタにする絵など、痛烈な皮肉とユーモアの微妙なラインです。
 
でも、この「きわもの」な表現が人を喜ばせたのも事実です。
美術って、いろんな歴史に流されてしまうけど、知力と創造の結晶です。
アルチンボルドの表現は、後のシュルレアリストたちに影響を与えます。
歴史の残酷さと、画家の「奇想」にロマンを感じる展示でもありましたかね。
 
子供向けとは言えないけど、歴史や発想を考えるきっかけに見るにはいい展示でした!
ちなみに常設展は、ガラガラでしたので、この機会に素晴らしい西洋絵画とル・コルビュジエの建築をじっくり見るのもありですよー。
 
最初の小話~絵画と空間~
アートコラムを作ってみたので、日々思っているアートについての考え方を書いていきたいと思います。
あまり、難しい話にはならないようにするつもりですが、わかりにくい話があるときには、ニュアンスでこんなことを言っているんだな~、なんて見ていただいても結構です。
 
さて、最初の小話は、絵画と空間についてです。
絵を描くときに、皆さんがすることは、「目の前にあるものを描く」ことですよね。
至極当たり前です。
しかし、その描く対象とは、様々なものから影響を受けています。
 
例えば、果物が並んでいる様子、テーブルにリンゴが一つのっている様子があったとして…
そのどちらにも、空間が存在し、互いに影響を与え続けているのです。
 
一つ一つのものとして考えるのではなく、それらが連続した、同一空間に存在するものだと考えることが重要です。
言葉で言うと難しくなりがちですが、全てのものは、「その空間にいるものから影響を受け、与えている」存在なのです。
別々に考えてしまうことの方が、不自然であります。
 
私たちは、普段、考えるまでもなくものを見て、生活しています。
その瞬間をどう生きるのか?
どう考えるのか?
絵画は、常に新しい視点を与えてくれます。
それを少しでも、糧にして、豊かな人生を歩んでほしいものですね。
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